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    柔らかな頬  桐野 夏生

    • 2003.10.15 Wednesday
    • 23:51
    柔らかな頬
    柔らかな頬
    桐野 夏生

    柔らかな頬  桐野 夏

    • 2003.10.15 Wednesday
    • 00:00
    柔らかな頬
    柔らかな頬
    桐野 夏生

    【やわらかな頬】 桐野夏生 著

    《動機は》

    人間は何か、動機があって、ことにあたるのだろか。

    同著者の【OUT】が最近、映画化され話題をよんでいる。厚みもあって、読みごたえのある本である。
    【やわらかな頬】はお互いに家庭があるもの同士が愛し合い,両方の家族が別荘に来て,一人の子供が失踪する。子供を捜し続ける母親の物語である。
    故郷からの決別、両親からの決別、こういう思いは誰でもが心に持っているものだ。

    この本を読むと、人生の宿命を感じるし、人間の一生は決まってしまっているんだろうかとは思わずにはいられない。

    小学5,6年になると、つい考えてしまうのが、なんでこんな家に生まれたのか、なんでこんな両親のもとに生まれたのか、なんでこんな家族の間に生まれたのか、もっと裕福な,金持ちなところに生まれてこなかったということだと思う。

    人間の欲望が最初に来るのは、こんなことだろう。
    もっと良い家が、欲しい。 もっと良い彼氏(彼女)が、欲しい。 もっと給料が良い会社はないか。もっと良い車が、欲しい。 と、欲望には切りがない。
    だが、欲望をなくしたら、なにも残らないだろうし、ありすぎると醜いし、ほどほどが良いのだろうが、ほどほどがわからない困るのだ。

    人が人をコロス動機はいろいろとあるだろうが、簡単すぎる。
    気がむしゃくしゃして、女房とケンカして、そんなところに出合わせれば、人間は簡単に殺される。
    余りにもむなしく、哀しい。
    近頃、男子はもちろんだが女子の刑務所が大幅に不足しているという、6人部屋を8人に、いままでなかった16人部屋までしないと収容しきれなくなってきたとテレビのニュースが伝えている。
    このことは、不景気、不況のせいはもちろんだが、こころのあり方が問われる時代になってきた様に思える。

    『 お母さんの匂いがする。いつもと違う匂いがする。…………・
      有香は、母親が自分の母親や父親を嫌いだという感情がようやく理解できた気がした。後ろで物音がしたので振り返ると、男の人がにこにこしながら有香を見ていた。
      この人は私を殺すんだ。
     有香は、早く殺してくれと細い頸を差し出した。    』(本文より)

    本の最後の部分です。

    この本を読み終ったあとに残るのは虚ろで哀しい虚無感だけである。
    もっと、もっと、いいことがあるだろうに。

    ふたたびの虹  柴田 よしき

    • 2003.10.10 Friday
    • 23:48
    ふたたびの虹―推理小説
    ふたたびの虹―推理小説
    柴田 よしき

    【ふたたびの虹】 柴田よしき 著

    京料理屋、<ばんざい屋>の訳ありの女将とそこに集うお客とにおきる、ちょっとした事件(出来事)を解決していく人情物です。それが章が移っていくごとに女将自身のことが中心におかれていき、最後のほうは女将の一生(過去、現在)の話になっていきます。なかなか面白い物語でした。
    京料理と骨董に趣味や興味のあるかたは、特に読んでいてあきが来ないと思います。骨董は女将の趣味がブロカント(古雑貨)の収集となっていて、彼らしき人物が骨董屋を経営していますので、骨董の話もところどころに出てきます。

    『おばんざい、とは、京都の庶民のあかずのこと。昔から節約を最大の美徳のひとつとしていた京都では、毎日の食事に余分な金や労力を掛けることを避け、数種類の質素なおばんさいを、何日には何を食べる、といった決まりごとまで作ってローテーション感覚で食卓に並べて来た。旬の素材っというのは、今でこそ何やら贅沢な響きを持つ言葉になってしまったが、昔で考えればその季節にいちばん安く簡単に手に入れられる食材のことである。「おばんざい」は、そうしたその季節にもっともありふれた材料と、普段から台所に常備されている乾物や保存食を組み合わせて作られる。そして、いつも同じ味付け、同じ調理法であること、これが重要だった。食べる側からすれば、数種類しかないおかずをローテーションで食べさせられては飽きてしまい、楽しみがない、ということになるのだが、かっての京都人にとっては、食で「楽しむ」ことそのものが大きな贅沢であり、特別な時にしか許されないことだったのだ。普段の食事に大切なことは、質素で無駄がなく、そして作る人間が余計な神経、余計な労力を使わなくてもいいことである。家をあずかる女にとって、月の何日は何を食べる、と慣習的に決まっている京都の食生活は、いちばん面倒な「メニューを考える」作業が不要で、しかも前日から手順良く準備が出来る、とても合理的なものだったと言える。
    だが現在では、大部分の京都人たちはもっと自由に食生活を楽しむようになり、おばんざいはメインのおかずの座を下りて、もっぱら副菜として食べられるようになった。…………・』
     (本文より)
    「おばんざい」の紹介文である。カウンターの大皿に乗っているものだ。

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