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    グッドラックららばい  平 安寿子

    • 2003.01.29 Wednesday
    • 23:47
    グッドラックららばい
    グッドラックららばい
    平 安寿子

    【グッドラックららばい】 平安寿子 著

    こんな家庭は、あるだろうか? いや、あるだろう。
    そんな物語だ。ちょっとと言って10年家出する母親、それを受け入れる父親、マイペースな長女、上昇志向の次女、そんな家族がおりなす話です。
    取り巻く人たちも、変わっていてよくこんな人物が出てくるのか、不思議だ。
    人間、なにが普通で、なにが普通でないかがわからなくなる。
    これからの人生、もっと頑張れるかもと思うことができる本でもある。
    男性より、女性の方が読みやすく、面白いのではないか。


    少女達がいた街  柴田 よしき

    • 2003.01.27 Monday
    • 23:43
    少女達がいた街
    少女達がいた街
    柴田 よしき


    【少女達がいた街】 柴田よしき 著

    物語は、1975年の渋谷の街にいる女子高校生である。ロックに明け暮れる時代であり、それに合うファッション、たむろできる喫茶店がある。そんな日々が綴ってある。
    1996年からは、事件の謎ときの話になってくる。一人の刑事が1975年に起きた事件を解き明かしていく物語になっていく。
    1975年は、少女たちの恋愛物語、1996年はミステリーな話、その二つがマッチしていく。
    よく作ってあるなと感じてしまう。
    謎解きが一重、二重、三重になっていて、意外な結果になっていくのである。

    『 ノンノは部屋のドアのそばに置いたままだったHOSONOの紙袋を引き寄せ、中から箱を取り出して開けた。緑色の、ロンドンブーツ。

    今は、退学なんかなりたくない。ノンノは、そのブーツを履いてディーブ・パープルのコンサートに出掛ける夜の自分を想像した。あの人はきっと、十五センチも背が高くなったあたしを見て目を丸くするだろう。それだけじゃない、あたしはきっとその夜、赤い口紅を塗って紫色のアイラインをひいているはずだ。
    あの人を、うんと驚かしたい。学校にいる時のあたしとはまるで違うあたしを見せたい、あの人に、あたしがそんなに子供じゃないだってわからせたい。   』(本文より)

    こんな感じで前半の物語が進んでいく。


    『 この世には、二種類の女がいる。母になれる女と、なれない女。
    そしてさらに、別の二種類にも分けられる。胎内に宿った生命を殺すことの出来る女と、出来ない女。
    だがどちらがいいわけでも悪いわけでもない。どちらが正しくてどちらが正しくないというわけでもないのだ。それは単なる、事実に過ぎない。
    しかし、母になれない女であってなおかつ胎内に宿った生命を殺すことの出来ない女は、決して妊娠してはならない。それだけは確かだ。 』(本文より)

    後半の部分の重要な紐解きになる文章である。

    片想い  東野 圭吾

    • 2003.01.25 Saturday
    • 23:41
    片想い
    片想い
    東野 圭吾


    【片想い】 東野圭吾 著

    メインテーマは今話題になっていると性同一障害者である。
    性同一障害者の人が世田谷区議に当選したり、競艇選手が女性から男性選手に登録したりと何かと話題になっている。
    もともと女性が男性になり、そのときに起きる感情を題材にしている。
    大学のアメフトに出て、社会人になってそのときのマネージャーの女性が男性になって現れて、アメフトの仲間がどうそれに向かうがこの物語である。
    内容は別に面白いものだが、体調とか、悪かっただけだ。
    本自体も分厚いで1ページが2段になっている。
    半分も往かないところで読むの止めた。

    体は全部知っている  吉本 ばなな

    • 2003.01.22 Wednesday
    • 23:37
    体は全部知っている
    体は全部知っている
    吉本 ばなな

    【体は全部知っている】 吉本ばなな 著

    これは短編集ですが、ひとつ、ひとつが癒される物語です。

    「ボート」という題名のは、公園のボートを見るとたまらない気持になるので、催眠療法で回復をはかるというものです。子供時代での、あたらしい母親との関わりがボートが関わっているのです。あたらしい母親が父のところに来て、去っていくまでの物語ですが、子供には強烈に残っているのでしょう。それが公園のボートに現れてくるのです。

    「 ・・・・・・・・
     いろいろな明かりが映っている水面・・・・・・・・池だ。池のふちにはボートが並んでいて、わずかに風が揺れていた。水際は蓮に覆われ、闇の中に大きなピンクの花がぽかんと開いていた。いくつも、いくつもはるか向うで岸まで、蓮の花が見えた。空には月が小さく光っていた。その蓮のあまりにも淡いピンクの美しさが目の中に焼き付いて、視界がかすんでみえた。
    『天国ってきっとこういうところね。』
     私は誰かと手をつないでいて、その人がそう言った。
    『そうね。ママ。』
     私は答えて、その人を見上げた。ほとんど忘れていたその顔を私ははっきりと思い出した。・・・・・・・・・・・・・・・・・」(本文より)



    僕も月夜のなか、湖面のボートに乗って天国に行くような場面を、ふと思い出します。
    天国に行けるか、どうかは分かりませんが、ボートに乗っているのです。ひとりではありません、誰かがいます。湖面は永遠につづくのです。天国は果てしなく遠いところにあるようです。
    何かのビデオ(アニメ)で見たものが頭のなかのどこかに残っていて、これがときどき出てくるのです。ビデオでは、男がひとりでボートに乗ったものです。

    夜の水面をボートに乗って、天国へ行こう。 

    僕は、このことがあってからか、ボートには決して乗れないのです。

    妹たちへの贈り物  光野 桃

    • 2003.01.21 Tuesday
    • 23:34
    妹たちへの贈り物
    妹たちへの贈り物
    光野 桃

    【妹たちへの贈り物】 光野桃 著

    男にとって香りは無縁のようだが、自然界にはいろんな香りで満ち溢れている。
    だがここでは、香水のことを書いてみる。

    朝の通勤とき、今頃の梅雨とき、蒸しかえるエレベーターの中は若い女性たちの香水が充満している。気持ちよいものではない。強い過ぎる感じだからである。
    キツク鼻につく感じだったからである。

    今までは,香水がどこか遠い話のように感じていた。
    あるとき、品の良い香りをつけた紳士に出会った。
    私も、思いきって香水をつけてみた。
    一人で買うのは、恥ずかしいので、無理を言って、プレゼントしてもらった。

    『………
     イタリアやフランスの子供たちは、化粧をするより早く香りに目覚める。
    13歳か14歳、まだ少女の頃に最初は母親の香りをまねし、カボシャールやゲランのミツコなどをこっそり試したりする。それから、母親や姉などに教えられながら「似合う香り」を学んでいく。ごく最初は淡く、さわやかな香りから始めても、かなり早いうちにしっかりとした個性のあるそれぞれの香りを見つけていく。彼女たちにとって香水をつけるということは、大人の女への道に足を一歩踏み出すということなのだ。そして自分の外見=スタイルを確立する時に香りは欠かせない必需品となっていく。
     目で見ることのできない香りが自分に合っているかどうかを、どうやって判断するのだろう。それは、香りをイメージでとらえてみるということだ。手首につけてみた香りを少し間をおいてかいでみる。甘い。ピリッとする。フルーツっぽくて元気な感じ……・・と香りを言葉に置き換えていく。ひと口に甘いといっても、かわいい甘さ、セクシーな甘さ、お母さんっぽい甘さ、コケティシュな甘さと、いろいろある違いを感じとる。そして次は、自分のイメージと香りとのバランスを計算する。…………・・
    ……数ある香水の中からそうやって自分にふさわしい一本を選び取った人は、どんな豪華なドレスや宝石を身につけているよりもおしゃれで、知性ある人に思えた。

     



    日曜日の夕刊  重松 清

    • 2003.01.15 Wednesday
    • 23:31
    日曜日の夕刊
    日曜日の夕刊
    重松 清


    【日曜日の夕刊】 重松清 著

    これは、親父が営業の外回りなので汗を掻くので、柑橘系のオーデコロンをつけるようになるが、高校生の娘が「臭い,臭い」と言って、消臭材を撒くという話である。
    親父.と娘の距離間がこの物語のテーマのようだ。



    そういう私も癒される香水を、ほんのちょっとまえからつけてみたが、気分は馴れるといいものである。だが、誰も何も言ってくれない。人になにかを言われるより,自分が納得して、まわりに不快感を与えていなければ良いのかも知れない。だが香りは、時として重要なものであるように思う。良い香りは、その場を良い雰囲気にいざなってくれる。香りに敏感な人は、露骨に嫌な顔をされるだろし、万人に喜ばれるのもまた難しい。香り(香水)は、奥が深く、またそれを自分のものにしたときに達成感が得られるだろうが、香りは何千、何万とあるのだろう。



    せつない時間  藤堂 志津子

    • 2003.01.12 Sunday
    • 23:28
    せつない時間
    せつない時間
    藤堂 志津子


    【せつない時間】 藤堂志津子 著

    《グレーゾーン》

    人間の心は、白と黒と区別できないグレーから出来ているのか。

    10篇からなる恋愛短編から出来ている。

    「哀しさはけなげに愛を貫く女性だからこそひとしお深い。胸に刺さった小さな棘は忘れようとしても忘れきれない心の傷を疼かせる。どうすればこの一瞬を確かめられるのですか。平凡に生きるからこそ失くしてはいけない愛がある。息がつけぬほど想いがつのる10の恋愛短編。涙と共に時間を止めてしまいたい。」 (本文より)


    [グレーの選択]
    「高校の同期会で再会して愛し合うようになったももの、二人の愛が男の狂気を引きずり出してしまう、恋愛や結婚に揺れる20代、30代の女たちのせつない心情が綴りだされていく。」

    「・・・・・・・
    あなたを本当に愛しているのなら、どの方法を取るのがいちばんなのだろう。
    できるるなら、私は別れたくありませんでした。
    でも、私は三十四歳です。二十歳の女性のように自分の気持に忠実につっ走るには、さまざまな人間模様や人生の断片をかいま見てきました。
    あなたは私と同じ年ですけれど、あなたは私よりもっとそのへんのところは、おわかりだと思います。
    人生は白と黒にきっぱりと区分けはできない、グレーの濃淡のようなものだ、と。
    このことを頭で理解していても、しかし皮肉ですね。私たちは、こと自分たちの関係においては、いつのまにか白か黒かの選択を自分自身に迫っていたのですから。
    ひとは恋愛をすると実際の年齢を忘れ、たちまちに中学生か高校生にまいもどってしまうのでしょうか・・・・・・・・・。」

    「人間は相矛盾するものを持っていて、一人の中に聖女の面も悪女の面も含まれているはずなんですね。」
    (本文より)

    ねじまき鳥の探し方  久居 つばき

    • 2003.01.05 Sunday
    • 23:25
    ねじまき鳥の探し方―村上春樹の種あかし
    ねじまき鳥の探し方―村上春樹の種あかし
    久居 つばき


    【ねじまき鳥の探し方】 久居つばき 著

    《何が本質なのか》

    村上春樹 著の【ねじまき鳥のクロニクル】の副本でもある。副題にも村上春樹の種あかしとある。この本は春樹ファンなら大変面白いし、奥深い考察が書かれている。

    『ひとりの人間が、他のひとりの人間について十全に理解するというのは果たして可能なことだろうか。』

    『つまり、誰かのことを知ろうと長い時間をかけて、真剣に努力をかさねて、その結果我々はその相手の本質にどの程度まで近づくことができるのだろうか。我々は我々がよく知っていると思い込んでいる相手について、本当に何か大事なことを知っているのだろうか。』

    主人公の奥さん(クミコ)がある日、突然失踪するのですが、クミコさんのことを何から何まで知っているのかと疑問を持つのです。
    主人公がトイレットペーパーを買ってくるのですが、たとえば青い色のを買い求めてくるが、クミコさんは淡いグリーン色しか、買ったことがないというのです。機能が同じなら、良いのではと言うのですが、あなたはずっと暮らしてきて、そんなこともわからなかったのと。
    たとえが些細なものかも知れないが、本当に夫婦でも何を知っているのだろうか。

    夫婦は長い間に暮らして、一身胴体などありえるのだろうか、
    おおまかなものは見えても、真は何もわからないというのが本当なような気がします。
    もって生まれたDNDなど変えられないからです。ケース倍ケースですが夫婦でも最後には親族に付くことが多いのでは、離婚はできても、離親などは出来ないのが普通の感じだからです。

    夕方、横断歩道で赤信号なので待っていた時、僕の前の若い女性が透き通ったマーケットのビニール袋から、ピーマンと玉子が見える。六個のピーマンと十個の玉子が見えます。袋の中は、それだけです。これで今日の夕食は、僕の頭の中では、ピーマンと玉子をフライパンで炒めるのか、また、ひとりで食べるのか。あるいは男と食べるのか、家の使いで買ってるだけか。これだけの品物がわかりながら、若い女性の本質は何ひとつわからないのです。当たり前と言えば当たり前ですが。
    何かが見えてても、何もわからないのです。


    何が本質なのか、何が真実なのか、良く見えません。
    人間だから、わからないのが当然かもしれません。

    神様でも、仙人でもないのですから。

    笹舟日記  三浦 哲郎

    • 2003.01.03 Friday
    • 23:22
    笹舟日記
    笹舟日記
    三浦 哲郎

    【笹舟日記】 三浦哲郎 著

    《懐かしく感じる本》

    本屋に行って、偶然に取ってみて懐かしく感じる本がある。【笹舟日記】三浦哲郎さんのエッセイ本である。僕のエッセイ本のベスト3には入る本である。このなかの「ゆでたまごを食べる日」と言うのが気にいっている。都落ちというのは、よく聞くが逆で田舎から都に来た日〔田舎落ち〕に、ゆでたまごをを家族全員で食べたので、この日は「ゆでたまごを食べる日」にしてるという訳である。東京に来て初めて寿司を食べたのを記念して「いなり寿司を食べる日」を設けようかと真剣に思った日々である。懐かしい過ぎる本である。

    溺レる  川上 弘美

    • 2003.01.02 Thursday
    • 23:18
    溺レる
    溺レる
    川上 弘美

    【溺レる】 川上弘美 著

    《バラの香り》

    川上弘美著【溺レる】の短編集の中に[さやさや]という題名のなかにこんなシーンが描かれている。料理屋で恋人らしき人とたらふく食べて、飲んで、遠い道程を歩く途中に彼女が草むらのなかで放尿する場面でかがんでなかなかでなくて、彼氏の声を聞いて『さやさやと音をたてて』と放尿するとあるのである。独特の表現であるが、[さやさや]とは『ウーン、ウーン』と唸ってしまった。
    この本を読んで、何年前のことを思い出していた。それは池袋の山手線のホームで見た。夜11時過ぎで新宿あたりでなにかの会のあと、池袋駅に着いた。ホームを歩いていると、階段の立上り壁の陰で女性がしゃがみこんで用を足している光景をみた。超長めのスカートなので、下半身はすっぽり隠れているので、何をしいているのかはわからないが尿だけがセンターからホームに際に到達しそうになっていた。
    女性は40歳前後というところか、今までガマンしたのが解放されたのか、なにかはればれして微笑んでいるようでもある。ホームでするとは余程のことであろう。
    話は変るが寮に入る頃、ドーンとおおきな音がした。後でわかったのだが、トイレブースに人間がぶつかった音なのであった。頭を押えて出てきたのは同期の人間だったので、どうしたのかと聞いたら、用を足して気持ちよくなってしまった。要するに失神してお尻をついて頭を後ろのひっくり返って、トイレブースにぶつけたというのである。(和風なのでしゃがんで用を足す)年に2,3回はなるのだそうだ。
    放尿とか、放糞とか、気持ちよく出るときが年に何回か、人生に何回か、おきるのだろうか。
    トイレにバラの飾りを置いてあるのはなぜだろうか。

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