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    ふたたびの虹  柴田 よしき

    • 2003.10.10 Friday
    • 23:48
    ふたたびの虹―推理小説
    ふたたびの虹―推理小説
    柴田 よしき

    【ふたたびの虹】 柴田よしき 著

    京料理屋、<ばんざい屋>の訳ありの女将とそこに集うお客とにおきる、ちょっとした事件(出来事)を解決していく人情物です。それが章が移っていくごとに女将自身のことが中心におかれていき、最後のほうは女将の一生(過去、現在)の話になっていきます。なかなか面白い物語でした。
    京料理と骨董に趣味や興味のあるかたは、特に読んでいてあきが来ないと思います。骨董は女将の趣味がブロカント(古雑貨)の収集となっていて、彼らしき人物が骨董屋を経営していますので、骨董の話もところどころに出てきます。

    『おばんざい、とは、京都の庶民のあかずのこと。昔から節約を最大の美徳のひとつとしていた京都では、毎日の食事に余分な金や労力を掛けることを避け、数種類の質素なおばんさいを、何日には何を食べる、といった決まりごとまで作ってローテーション感覚で食卓に並べて来た。旬の素材っというのは、今でこそ何やら贅沢な響きを持つ言葉になってしまったが、昔で考えればその季節にいちばん安く簡単に手に入れられる食材のことである。「おばんざい」は、そうしたその季節にもっともありふれた材料と、普段から台所に常備されている乾物や保存食を組み合わせて作られる。そして、いつも同じ味付け、同じ調理法であること、これが重要だった。食べる側からすれば、数種類しかないおかずをローテーションで食べさせられては飽きてしまい、楽しみがない、ということになるのだが、かっての京都人にとっては、食で「楽しむ」ことそのものが大きな贅沢であり、特別な時にしか許されないことだったのだ。普段の食事に大切なことは、質素で無駄がなく、そして作る人間が余計な神経、余計な労力を使わなくてもいいことである。家をあずかる女にとって、月の何日は何を食べる、と慣習的に決まっている京都の食生活は、いちばん面倒な「メニューを考える」作業が不要で、しかも前日から手順良く準備が出来る、とても合理的なものだったと言える。
    だが現在では、大部分の京都人たちはもっと自由に食生活を楽しむようになり、おばんざいはメインのおかずの座を下りて、もっぱら副菜として食べられるようになった。…………・』
     (本文より)
    「おばんざい」の紹介文である。カウンターの大皿に乗っているものだ。

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