私の骨
高橋 克彦
【私の骨】 高橋克彦 著
私は骨については、これまでまったく考えたことがなかった。
物語はこうである。
主人公は都会にすんでいる。年老いた両親が亡くなり、田舎の家を処分することにする。
解体処分した家屋の床下から、壷に入った骨が発見されたことが警察から連絡が来る。
幼児の骨なのである。その壷には、主人公の生年月日が書いてあるのである。どういうことだろうか、本当の両親の子供は生まれて直ぐに亡くなり、主人公は本当の両親の子供ではなく、どこからか連れられて来たのだろうか。
地方の人柱の神話や、従兄妹との愛情など織り込みながらの物語である。
【私の骨】を読んだあとに、手首を痛めてしまった。
こんな偶然の骨つながりもあるのだろうか。事務所で使っているイスに乗って、ロッカー上の荷物を取っていた。なにを勘違いしたのか、その荷物が重いものと思ってしまったのだ。荷物が軽すぎたのだ。『あれーーあれーー』と感じながら、スローモーションみたいに体が転落したのである。そのとき、お尻と右手で体を支えたのである。
右手で支えたので、体重の3分の1ぐらいが、右手の手首にかかってしまったのである。
だが、それほど痛い感覚はなかったのだが、手首をちょっと違う方向に伸ばすと感覚がしびれるのである。
それからの処方が良くなっかたので長引いた。なにが良くなかったといえば、手首を無理に捏ね回していたのだ。固定していなくてはならないのを。
これまで骨に関して何もなかったので、無知であった。
結局、整形外科に行ってレントゲンを撮るのである。
結果は手首の骨を損傷してしまった。ただ、処置といえば、固定して包帯を巻いてくれただけである。何も薬を飲むわけでない。
整形外科のドクターも看護婦さんも、大事にならず、よかった、よかったといった風情である。こんな事例は一杯あるので、なんでもないのであろう。
だが、事務所に帰ると右手の包帯が目立ち、どうしたの?と聞かれ、『えーちょっと』となんとも言えない。
イスから落ちたと言えない、情けない自分がいる。
体重が、今は少しだけでも落ちていたことは幸いしていただろう。
私のブザマの転落と、骨に関しての一席である。