恋はさじ加減
平 安寿子
07−77 ★★★☆☆
【恋はさじ加減】 平 安寿子 著 新潮社
《恋は料理で決まるのか、ユーモアというスパイスたっぷりに、…》
内容(「MARC」データベースより)
おいしいと好きになるのか、好きだからおいしいのか-。ポテサラ、ハヤシライス、カレーうどんにバターご飯エトセトラ。食べ物をきっかけに始まる恋、こじれる恋を描く、スパイスたっぷり美味な6篇。
「野蛮人の食欲」
「きみよ、幸せに」
「泣くのは嫌い」
「一番好きなもの」
「とろける関係」
「愛のいどころ」 6篇
見た目が悪くても、食べると美味しい。
この男もその類いかもしれない。
だったら、食べられるものはなんでも、
おいしく、有り難く、いただきませんとね。 (帯文より)
料理のことで始まる恋、その恋は、甘いのか、しょっぱいか、ほろ苦いか。
平さんのペースで綴る6篇の恋は、どんな味付けになっていますか?
ユーモアになかにも、切なさが、恋ですもの、…。
付録
僕は料理については小学校で教えるべきだと思う
昨年から単身寮で時々、料理のまねごとをしている。ご飯を炊いて,ごく簡単なおかずを作るが悪戦苦闘である。味加減がわからないのである。
高校時代の友人が結婚するときの条件は何はなくとも、料理が美味しく作れるのが、一番の条件であると言っていた。自分の母親の料理があまりにもおいしくないことらしい。
私は思うのだが、小学生では料理の基本を徹底的に教えるべきである。(学校で)今や家庭では教えることは無理なような気がする。野菜の切り方、ご飯の炊き方、味噌汁の作り方、うどんの茹で方、魚の焼き方等(きりがないが)を小学生に仕込むのである。料理通知表があって、小学6年では、最低でも10項目で5級以上取らなくてならない。ご飯の炊き方1級、スパゲッティーの茹で方2級、オムレツの焼き方3級等が記載されている。
人生は短いか、長いかわからないが食事は一生付き合うのであれば、こんな考え方もあっていいのではないか。コンビニ、ファーストフード、外食産業が乱立していてお金があればなんでも食べることにはことかからないが。私は今日も簡単なご飯に水炊き(白菜、とうふを味ぽんで食べる)にしょうかと思っている。(2003年の日記から)