世界は単純なものに違いない
有吉 玉青
07−74 ★★★☆☆
【世界は単純なものに違いない】 有吉 玉青 著 平凡社
《母のことも、こんどはちょっと父のことも出てくる》
内容(「BOOK」データベースより)
タマオさんは悩み続けている。家族や友情について。世間や自然や宇宙について。「もののけ姫」のラストの、そのまた先のことや、カウリスマキ映画の夫婦の無表情についても。つまりは、ナンセンスでイノセントな「この世界」の不思議について。…なんだ、ものごとを複雑にしているのは、実は自分自身じゃないのかって―。要するに、私は悩むのがすきなのだ。
かなりの本数のエッセイが収められている。私には、新鮮さはなかったが何本かの部分がうーんと唸らせるものもあった。
有吉さんは、あの有名な有吉佐和子さんの娘さんである。
処女作、【身がわり】に、大作家を母に持つための悩み、うれしさ、わずらわしさが出ている。母親・佐和子の好奇心や行動力には、さすが作家なのかと驚かさせられる。母親・佐和子の急死のあとでわかる、この母の側にいたのが貴重なときだということが書かれているあるが、そのことのいくつかもこのエッセイに書いてある。
『結んでゆく絆』
「子供は親を選ぶことはできないのだから、子供に読まれても恥ずかしくないものを書きたい」 生前、母・有吉佐和子が言った言葉である。 (本文より)
『惑わず思う』
生きてゆくことは、そう簡単なことではなかった。実にままならず、理想だなんだ、あのときこうしていればどうだったああだったと悠長なことを言っていられるものではなかった。ただ、「今」をやってゆくしかない。そして、そんなあたりまえのことに気がつくのに、四十年もの長き歳月がかかってしまったのだ。あとは明るくやるしかないだろう、明るくやりたい、やれると思う。 (本文より)
20、30歳代は、先を見て惑う、大いに惑う、が40代には惑わずに「今」を生きてゆこうと言っているのだ。
『ある読書体験』
読書というのは自由なもので、どんな読み方をしたところで間違いということはない。登場人物に自分を重ねるのもまた、読書の楽しみのひとつだ。そして読者に、この小説は自分の人生そのものだ、作者はどうして自分の気持ちがこんなにわかるのだろうと思われたなら、作者は作家冥利に尽きるだろう。(本文より)
『世界は単純なものに違いない』
今日読んだエッセイの中の1章に納められたものである。良くも悪くも世界はいつも同じテンポで動いているので、未来に希望もなくても絶望する必要はないというのだ。それが、映画の言わんとするところだと作家は言っているのだ。
『浮き雲』(アキ・カウリスマキ監督.96 フィンランド)の映画を何回か見た。DVDであったり、深夜のテレビ放送であったりで見たのだ。この映画の持つ意味と言うのがいま一つ分かりかねていたが、なるほど、そういう取り方をするかと思ってしまった。
アキ・カウリスマキ監督の作品は、独特である、青い色で覆い尽くされた画面があり、登場人物に感情の抑揚がないのだ。『浮き雲』は、夫のラウリが不況でリストラになり、妻のイロナもレストランの職を失業する。そこから不運ばかり続いて起きる。最後は、レストランを開くのだ、一人、そして一人と客が入って来て満員になるのだ。そこには、感情もない、喜びもない、活気もない、淡々とした流れがあるだけなのだ。