夕顔 (新潮文庫)
白洲 正子
09−023 ★★★☆☆
【夕顔】 白洲 正子 著 新潮文庫
《文章の切れがいいエッセイです》
内容(「BOOK」データベースより)
明治、大正、昭和、平成―四代を経てますます優雅に最先端を生きる人生の達人が、庭の草木を慈しみ、吉田健一や小林秀雄を偲び、愛する骨董を語り、生と死に思いをめぐらせる。対象の核心を射ぬく小気味よい文章は、自ずと、まやかしの横行する現代の風潮への批判ともなっている。植物の感情をテーマにした表題作等、ホンモノを知る厳しいまなざしにとらえられた日常の感懐57篇。
白洲正子の本は2冊目か。能、焼物などちょっと分からないが思ったより楽しく読んだ。この本に「ホワイトフォンテン」が出てくるとは考えていなかった。「ホワイトフォンテン」、競馬馬です。ここでも書いてあるが「白い逃亡者」、いわゆるレースの先頭に発つ逃げ馬なのです。競馬に凝っていた頃、この馬がいたときなのでレースでは、この馬から買っていたのだ。細い馬だった。この本では、いろいろなことを知った。「金木犀より銀木犀が好きだ」えっーと銀木犀なんてあるんだ。作家・文士が出てくる部分はワクワクして読む。もうちょっと永井龍男の本を読まなくては。
「人は自分の鏡である。ひとりで自分のことをいくら考えていても、それは自分のほんとうの姿ではない。よきにつけ、あしきにつけ、自分で造りあげた空想上の影みたいなもので、何かにぶつかってはじめてそれは露になる。必ずしも相手が人間でなくてもよい。動物でも、植物でもファッションでも、はたまた目に見えぬ空気や風の音でも、世の中のありとあらゆるものを、もし望めば他者と見なすことはできる。早い話が私の場合、こうして原稿用紙に向っていて、「自分と出会う」ことについて、いくらでも書けると思っているのにも拘らず、うまく表現できないで四苦八苦している。それほど心の中で思っていることと、実際に事に当るのとは違うのである。それに比べたら多くの人間とふれあう機会を持つ人々は、その度ごとに自分自身を新たに見直すことができるはずで、自分を失うどころか、豊かにする可能性に恵まれているのではなかろうか。」