贋世捨人
車谷 長吉
170 ★★★★★
《人間も生き物なんだと感じた作品》
内容(「BOOK」データベースより)
時代の最先端を見据えながら、併しそこから距離を取って、時代の最後尾、びりッ尻を「蝸牛の歩み」で歩いて行こうと思うた。迷いの逆渦の中に吸い込まれた青年の「宿縁」はどこにあるのか―「骨身に沁みたことを骨身に沁みた言葉」で書きあげた420枚。
内容(「MARC」データベースより)
私とは、こういう人間だったのか。愚図であった。腑抜けであった。時代の最後尾を蝸牛のように歩いていた。しかし、抜き身で生きて行きたかった…。孤高の私小説作家が、自らの青春時代を描く。
車谷長吉さんの本は2冊目である。
私の好みであろうか、物凄く感じるものが伝わった。私小説であるが、こういう時代があって、私はこう生きたみたいな話だが、どこか常人と違う感覚があり、そこに引きつられてしまうのだ。こういうテンポの書き方も合うのだろうか、読みやすいのだ。
私が圧巻と思うところは、友人の谷内氏(精神医学研究所)が主人公・生島に小説をかくことを進めるくだりだ。
―生島くん。僕は小説など書いたことはないけれど、小説を書くというのは、この男と同じように、風呂桶の中に釣糸を垂れて、魚を釣り上げようとすることではないだろうか。無論、この男は精神分裂症に罹って、世の中では気違いと言われている人です。きみも、もともと相当におかしなところのある人だけれど、併し会社員が勤まっているのだから、まあ普通の人と言ってもいいわけだ。小説を書くというのは、この男のように狂気でするのではなく、正気で風呂桶の中の魚を釣ろうとすることではないか。それを一生続けるのは辛いことだろうけれど、僕はきみにそれをやって欲しいんだ。きみなら出来る。正気で、一生風呂桶の上に釣糸を差し続けて欲しいんだ。魚なんか、一匹も釣れなくったっていいじゃないか。それが、小説を書くということじゃないか。(本文より)
女子は、この本を読まないような気もする。大>