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    転がる石 阿久 悠

    • 2004.07.11 Sunday
    • 12:14
    転がる石
    転がる石
    阿久 悠

    【転がる石】 阿久 悠 著

    転がる石はどこへ行く
    転がる石は坂まかせ
    どうせ転げて行くのなら
    親の知らない遠い場所
    転がる石は目がまわる
    転がる石は知恵がつく
                 (本文より)

    5編からなる短編であるが連作の形式である。
    読みやすいところの二つめから読む。ところが
    読み進んでいくと、どうも前に一度読んだような
    気がしてきた。リストを見たがチェックしてないので
    読んでいない。そうなると面白くないのだ。
    二つ目は読んで、他編は斜め読みで終わる。
    阿久悠さんにはごめんなさい。
    若い男性が主人公の話、昭和33年ころの時代が
    舞台であるから良くわからないが心情は今と
    そう変わらないか?

    恋文  阿久 悠

    • 2003.08.30 Saturday
    • 23:41
    恋文
    恋文
    阿久 悠

    【恋文 LOVE LETTER】 阿久 悠 著

    阿久 悠さんはピンクレディー、沢田研二等などの歌う作詞家として、超有名な人である。
    あのごつい顔で、とてつもないいい歌詞ができるものだと感心させられる。

    「恋文」をめぐる24の物語である。一般的な普通の若い男女の恋文は少ない。天国の夫に宛てたものや、嫁ぎ行く娘から一人で育ててくれた父親に宛てたもの、などなどである。

    本のあとがきに

    『恋文は、自分の思いのたけを伝えるわけですから、本音の伝達ということになります。・・・・・・(中略)   人間は、生きていること自体、どこか切ないものです。真面目に、懸命に、美しく生きようとすればするほど、その切なさはふくらみます。そして、自分自身で抱き抱えていることの限界を感じた時、恋文を書くのです。それはどこか祈りに近いもので、どのようにあからさまに思いを伝えても、下品にはなり得ないものだと思います。  』

    僕は恋文を書いたことも、もらったこともないので、その感慨はないが、そのわくわくした気持ちは十分わかるような気がします。一,二度は、もらったような気がするが恋文というものでなく、どこかへ一緒に遊びに行きませんか、というそんなものだった。それでも、胸キュンになったのを憶えている。

    自分が恋文を書くならば、どんな思いを相手に伝えるだろうか。

    《 あなたへ
    時はいじわるだと、つくづく思う。
    なぜもっと早くあなたと、会わなかったということです。

    二人で感じた風は、空気は、僕は忘れはしない。
    二人で歩いた街は、都市は、僕は忘れはしない

    あなたが、ちょっと気に入った男が
    百回、愛していると言ったら
    僕は、千回は言うだろう

    あなたが、ちょっと気に入った男が
    千回、メールしてきたら
    僕は、八千回はするだろう

    僕にとっては誰がなんと言おうと、あなたは僕にとって女神なのです。
    女神はほんのすこし、微笑んでくれるだけでいいんです
    単純でしょうが、ファイトが湧いてくるのです。…………   》

    恋文は、思いのたけを伝えることは単純だが、難しい。
    前出のような恋文を出しても、ポイと屑篭に捨てられてしまわれそうだ

    あこがれ  阿久 悠

    • 2003.02.02 Sunday
    • 23:51
    あこがれ
    あこがれ
    阿久 悠

    【あこがれ】 阿久悠 著

    あなたは、誰かにあこがれの気持ちを持っていますか?写真家50才(男)と二十歳(女)の恋愛物語である。

    よくわからないのは、最初は写真家の目(心)で語られ、あとのほとんどは二十才(女)の目(心)
    で語られている。
    作者が若い女性の意識,感情,感覚をつかんでいて初めて書ける小説である。作者自体が、そういう職場環境だったのかなと感じる。


    写真家とその妻との問題が心の感情の行き違いで起こるのか、それとも何が原因で疎遠な気持ちになっていくのか、いまひとつわからない。

    『 心理分析のようなことを云うようだが、夫婦の感情とは妙のもので、男と女を前提で成立していながら、男であること、女であることの組み合せであることを意識するのに、いつか羞恥心を感じるようになる。
     羞恥心は、おおむね、時とともに鈍化していくものだが、必ずしも、そうとばかりは云えないこともある。最初の羞恥心が反応しなくなると、それが折り重なって襞のようになり、襞の新しい面に、ヒリヒリする別の羞恥心が顔を出すのである。それが夫婦に訪れる。 』(本文より)

    昔は何も知らない若い女性が一旦、男と肌を合わせるとその男に有頂天になり、後先を考えなくその男一筋に向かっていくということが昔の物語に多く書かれてあったが、今は情報が十分あり、そんなこともなくなってきつつあるだろう。
    この男と暮らしても大丈夫か、どうかはチェックする機能が今のほうが達者かもしれない。


    作者が50才代で20才(女)の感覚で書いておられるのだろうが、20才代の女性は本当にこんな感覚の人もいるだろう。
    20代の女性が全部、こんな感覚ではないだろうが、物語としては面白く読める。
    私は結果がこうなるだろうと予測をしていたが、やっぱりこうなったのだといった感じだ。もっとどろどろな男と女を書いて欲しかった。

    私が、この前、見に行った写真家<スケルソン>のことも出ていて興味ふかい。
    写真展に行ったお陰で、この作品に出ている女優がどんな写真を撮りたがっているのか直ぐにわかる。

    対比として、主人公カメラマンは静として、有名なカメラマンは動として語られていて、何がどう生活や人生感に関わっていくのかを上手く演出してある。妻、20才の女、バーのママ、前妻との娘との主人公との距離の差=感情がどんなものかが、微妙である。


    『あこがれ・あこがれ・あこがれ』は、いい言葉に聞こえてしょうがない。

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